ビサージアのヨーガ

ヨーガとは

よく聞かれることなのですが、結論から言うと、
一般的に使われている意味での「宗教」ではありません。
「宗教」とは、一般的には、儀式や教義を含めた文化といえるものであり、
宗教と言う言葉の意味は、以下の様な定義がされています。
「宗教(しゅうきょう)は一般に、神、超越的な存在、聖なるものなどについての信念や進行、
新年や進行と結びついた個人の態度(超越的なものとの関係)・
活動(礼拝など)・制度(寺社、教会など)・信者の形成する社会などをあらわす」
フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」より

文化・社会は様々です。
パンの文化、お米の文化、箸の文化、フォーク・ナイフの文化、資本主義の社会、社会主義の社会などなど。

文化や社会に良し悪しがないのと同じように、宗教による習俗(その社会や地域の習慣や風俗)にも良し悪しはありません。

ヨーガは宗教の習俗を除いたあとに残った純粋な宗教心を涵養(かんよう:自然に水が染み込むように徐々に養い育てること)してくれる心の科学であります。普遍的で客観的なものであり、神仏の助けなどお陰もらいの宗教ではありません。

「宗教」の語源について調べると、こんな面白いことがわかりました。

「日本語の「宗教」という語は、幕末期にReligionの訳語が必要となって、今で言う「宗教」一般をさす語として採用され、明治初期に広まったとされています。
原語のほうの英語Religionは、ラテン語のreligioから派生したものです。religioは、「再び」という意味の接頭辞reと「結びつける」という意味のligareの組み合わせであり、「再び結びつける」という意味で、そこから、神と人を再び結びつけること、と理解されていました。」

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「宗教」の語源は、「再び結びつける」という意味。

「しゅうきょう」という日本語に訳され、その後様々な文化の中で変化をして、一般的に日本人な常識のなかで使われている「しゅうきょう」という言葉の持つ意味とは、少し違うようですね。

ヨーガとは

YOGAの語源は「yuj」、「結びつける」という意味です。
「宗教」の本来の意味、根本と同じ意味です。

では、何と結びつけるのか?

それは、人と神との結合・・・人間の意識と神の意識の結合であります。
この「人間の意識と神の意識の結合」とはどういうものかというと、
『私が私が・・・というような小さな自分一人に囚われた狭い意識(小我)から、無限の広がりをもつ大きな意識(大我)へと転換させていくこと』です。

じゃあ、「神」ってなに?という疑問が出てくることでしょう。
「神」って言うことは、「しゅうきょう」じゃないの?ってね。
確かに、一般に知られている「神」「神様」は、やはり「宗教」「しゅうきょう」と深いかかわりはあります。
これも調べると、こんな風に書かれていました。

ヨーガとは

神(かみ)とは・・
人間の及ばぬ知恵・知識・力を持つとされる存在の一種で、人間を含む生命やこの世界そのものなどを創り出した存在であるとされることもある。人知を超えた力や運命と関連づけられ、信仰や畏怖の対象となる。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

他にこうもありました。

世界的に見ると、神を信じている人は多く(アブラハムの宗教だけでも30億人を超える)、神に基づいて自身の生活様式を整えている人、"神とともに生きている"と形容できるような人は多い。

一方日本に限って見ると、日常生活においては神をさほど意識していない人が多数派であるようだ。 人知を超えた存在であると考えられることや、人間や動物のように社会や自然の内に一個体として存在していることは観察できないことから、神の存在を疑う者も多い。

神が存在しないと信じている者は無神論者と呼ばれ、神が存在するかどうかを知りえないと考える者は不可知論者と呼ばれることがある。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

ヨーガとは

「神」の存在を信じるか信じないかは別としても、初詣に行ったり、先祖の供養をしたりする人はいるでしょう。

ということは、信じるとか信じないにかかわらず、日本の風土や文化の中に「なにか大いなるもの」への想いは、多かれ少なかれお持ちだと思います。

では、ヨーガでいう神とはどういうものかというと、ある特定の「神」というものではないのです。
私のヨーガの師匠がこんな風に話してくださりました。

「この世が誰によって創られたかを考える。
それを考えると、そこにはなにか大いなる存在を認めなければ成り立たない。
ヨーガではこの「大いなる存在」というものを「神」としているのだ。」

この世がどうしてできたか?という問いに対して、「ビッグバン」によって宇宙が誕生してこの世が出来たという答えがあるだろう。

しかし、では一体なぜその「ビッグバン」がなぜ起こり、どういうメカニズムで起こったのか、それを説明しろと言っても、現代の科学では説明できない。

「偶然だ・・・」という人もいるだろうが、では、なぜ偶然っていうのがあるのかも・・・疑問です。

ヨーガとは

日本ヨーガ療法学会第三回研究総会での招待講演で、
「笑いや感動が遺伝子をオンにする」というテーマで公演された
村上 和雄先生(筑波大学名誉教授)は、その公演の中で、こんなことをおっしゃっていました。

「我々は、遺伝子というものを解読することはできる。
遺伝子というものがそこにあるから解読できるのだ。
だが、その遺伝子というものは、人間には創ることが出来ない。
では、いったい誰が書いたのか?・・謎です。
科学では、「サムシング・グレート」といいます。」

プログラムの中でも、こんなことが書いてありました。

「・・(抜粋)生命の仕組みは、まったく驚くほど不思議なことばかりです。人は「生きる」などと簡単に言いますが、自分の力だけで生きている人は、地球上に一人もいません。

呼吸にしても、血液循環にしても、私達が自分で工夫して働かせているのではなく、ホルモン系・自律神経系などが、自動的に活躍しているからこそ、私達は生きているのです。
このホルモン系・自律神経系の活躍を支配しているのが遺伝子ですが、それでは遺伝子を操っているのは一体なんでしょうか。

・・・(略)・・・そもそも極微の空間に、大百科事典数千冊分に相当する膨大な人の体の設計図を書き込んだのは人間ではありません。
この人間業を超える、大自然の不思議な働きは「サムシング・グレート」としか呼びようがない。
人間を含め、すべての生物の生命は「サムシング・グレート」からの贈り物であると考えられます。・・・・」
(第三回日本ヨーガ療法学会研究総会 抄録集 より)

ヨーガとは

科学の側からでは、「神」という言葉は使われないけれども、「サムシング・グレート」という言葉でもって、その大いなる存在を感じておられています。

他にも、スポーツ選手などが様々なシーンで能力以上の神がかり的な力が出たときに、良く「ゾーン」という言葉を使われたりします。

ゾーンとは「集中力が極限を高められた時、周囲の景色や音が意識から消える状態」のこと。
自我が無くなり、無心になったとき、起こるといわれている。
しかし、これもなぜ集中力が高まるとなるのか、どういうメカニズムなのか、などは解明出来ていない。

「神」という認識をあえてしているわけではないが、しかし、「大いなる存在」を感じなければ説明がつかないことはいくらでもあるという事です。
世界には様々な「神様」がおられます。

「イエス・キリスト」「仏陀」「シヴァ神」「アラー神」などなど・・・
ヨーガは誰を信じても良いのです。
実際、インドのシバナンダ・アシュラムには、世界のあらゆる「神様」の写真や像やマークが飾ってあります。

ヨーガは、それらの「神様」の姿を見ているのではなく、その内側にある「神」を見ているのです。


ヨーガとは

例えるならば、登山をするとき、色んな場所から登るのと同じです。

頂上は1つだけど、入り口はいくつもある。
自分の気に入った入り口から進んで、最後は頂上に到達する。

世界のたくさんの「神様」はその入り口なのです。
行き着きたいのは頂上。だからどこの入り口であってもかまわない。
どこの入り口が良い悪いなんて、無いということなのです。
これがヨーガのいう「神」なのです。

だから、ヨーガは「教」「宗教」ではないのです。
ただ、大いなるものへ自分を近づけていくものなのです。